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東京高等裁判所 昭和41年(ネ)565号 判決

控訴人(第一審昭和三五年(ワ)第八、四〇一号事件被告、第一審昭和三六年(ワ)第九、一九九号事件原告) 鈴木重明

右訴訟代理人弁護士 奥野健一

堀尾和夫

高木右門

石田武臣

名川保男

岡村了一

前嶋繁男

高橋良喜

被控訴人(第一審昭和三五年(ワ)第八、四〇一号事件原告、第一審昭和三六年(ワ)第九、一九九号事件被告) 角田長興

右訴訟代理人弁護士 松沢宣泰

宮本隆彦

田辺克彦

田辺邦子

田辺信彦

主文

原判決を取り消す。

被控訴人(第一審昭和三五年(ワ)第八、四〇一号事件原告、第一審昭和三六年(ワ)第九、一九九号事件被告)の請求を棄却する。

別紙目録記載第二の土地が控訴人(第一審昭和三五年(ワ)第八、四〇一号事件被告、第一審昭和三六年(ワ)第九、一九九号事件原告)の所有であることを確認する。

被控訴人(第一審昭和三五年(ワ)第八、四〇一号事件原告、第一審昭和三六年(ワ)第九、一九九号事件被告)は控訴人(第一審昭和三五年(ワ)第八、四〇一号事件被告、第一審昭和三六年(ワ)第九、一九九号事件原告)に対し前項記載の土地につき所有権移転登記手続をせよ。

訴訟費用は第一、二審を通じ被控訴人(第一審昭和三五年(ワ)第八、四〇一号事件原告、第一審昭和三六年(ワ)第九、一九九号事件被告)の負担とする。

事実

控訴人(第一審昭和三五年(ワ)第八、四〇一号事件被告、第一審昭和三六年(ワ)第九、一九九号事件原告、以下単に「控訴人」という。)代理人は、主文と同旨の判決を求め、被控訴人(第一審昭和三五年(ワ)第八、四〇一号事件原告、第一審昭和三六年(ワ)第九、一九九号事件被告、以下単に「被控訴人」という。)代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

被控訴代理人は、本案前の抗弁として、控訴人の訴訟代理人であった弁護士河本喜代之は、本件訴訟事件につき、さきに被控訴人より協議を受けて、控訴人に対する仮処分申請書を作成しておきながら、当審に至り、控訴人より訴訟の委任を受け、控訴人のその余の訴訟代理人らとともに、被控訴人に対する訴訟行為を遂行したのであるから、同弁護士を含む控訴代理人らの訴訟行為は、弁護士法二五条一号に違反して無効であると述べ、第一審昭和三五年(ワ)第八、四〇一号事件の請求原因並びに第一審昭和三六年(ワ)第九、一九九号事件に対する答弁として、

別紙目録記載第一の建物(以下「本件建物」という。)は、被控訴人の祖父角田元亮が、昭和二年ころ建築し、所有していたところ、同人が昭和六年七月一三日死亡し、その家督を相続した被控訴人の父角田長雄も昭和二一年七月一日死亡したので、被控訴人が家督相続によって本件建物の所有権を取得し、現在に至っている。ところが、控訴人は、本件建物が被控訴人の所有であることを争い、同建物につき東京法務局芝出張所昭和三五年二月三日受付第一、一二七号をもって所有権保存登記を経由して現にこれを占有している。

なお、本件建物の敷地である別紙目録記載第二の土地(以下「本件土地」という。)がもと訴外鈴木圭三の所有であったこと及びこれにつき控訴人主張のごとく角田長雄名義の所有権移転登記が経由されていることは認めるが、本件土地が控訴人の所有であること、その他控訴人が第一審昭和三六年(ワ)第九、一九九号事件の請求原因として主張する事実のうち被控訴人の主張に反する事実はすべて否認する。よって、被控訴人は、本件建物が被控訴人の所有であることの確認と、控訴人に対し同建物についてなされた前記所有権保存登記の抹消登記手続、建物明渡し及び控訴人が本件建物の占有を開始した後である昭和二三年八月一一日から右明渡済みに至るまで月三、〇〇〇円の割合いによる賃料相当の損害金の支払い(第一審昭和三五年(ワ)第八、四〇一号関係)並びに本件土地に関する控訴人の請求を棄却する旨(第一審昭和三六年(ワ)第九、一九九号関係)の判決を求める。

と述べ、控訴代理人は、まず、被控訴人主張の本案前の抗弁を否認し、

河本弁護士が被控訴人より本件訴訟について相談を受け、弁護士平田達に命じて仮処分申請書の原稿を作成させたことはあるが、後日被控訴人より正式の訴訟委任がなく、仮処分申請書も未提出のままに終ったのであるから、同弁護士に弁護士法二五条一号違反の事実はない。仮りに然らずとしても、河本弁護士は、控訴人の訴訟代理人に選任された昭和四六年三月一一日以来、実質的な訴訟活動をしたことがなく、単に他の代理人の作成した準備書面や証拠申請書、証拠説明書等に控訴代理人として代印により名を連ねていたにすぎず、しかも、昭和五三年五月三〇日限りで代理人を辞任するに至ったのであるから、同弁護士に弁護士法二五条一号違反の事実があったからといって、ただそれだけで、その余の代理人による訴訟行為までが効力を失ういわれはない。

と主張し、第一審昭和三五年(ワ)第八、四〇一号事件に対する答弁並びに第一審昭和三六年(ワ)第九、一九九号事件の請求原因として、

本件建物につき控訴人名義の所有権保存登記が経由されていること、角田元亮及び角田長雄の死亡日時、同人らと被控訴人との身分関係、控訴人が本件建物を現に占有していることは、認めるが、被控訴人が第一審昭和三五年(ワ)第八、四〇一号事件の請求原因として主張するその余の事実は、すべて、否認する。本件建物は、被控訴人主張のころ控訴人の父鈴木宇宙が建築し、本件土地も同人がそのころ訴外鈴木圭三より買い入れたものである。すなわち、

鈴木宇宙は、当時右訴外人の所有であった本件土地で医院を開業すべく、(1)昭和二年三月二三日、右訴外人より本件土地を代金一万五、〇〇〇円で買い入れ、手附として一、〇〇〇円を支払い、同年四月五日、残代金一万四、〇〇〇円を角田元亮から「毎月利息を含めて二〇〇円宛分割して弁済する。担保として、債務完済に至るまで本件土地の登記名義人を角田長雄とし、債務を完済したときは登記名義を鈴木宇宙に返還する。」との約旨の下に借り受け、即日、右残代金の支払いを了すると同時に、該約旨に基づき、本件土地につき右訴外人より角田長雄に対して所有権移転登記手続がなされた。(2)また、鈴木宇宙は、前叙のごとく、本件土地の上に医院兼居宅としての本件建物の建築に取りかかったが、途中で資金が不足し、同年一〇月一九日角田元亮より四、五〇〇円を毎月一〇〇円宛分割して弁済する約で借り受け、そのころ本件建物を竣工させるに至った。そして、同人は、右建築資金の借入金については昭和六年七月七日をもって、また、右土地代金の借入金については昭和一九年一〇月をもって、それぞれ、その支払いを完了したが、本件土地についての登記名義の返還を受けないまま、昭和二〇年八月一〇日死亡し、控訴人が家督相続によって本件土地、建物の所有権を取得し、今日に及んでいる。そこで、控訴人は、本件建物に関する被控訴人の請求を棄却する旨の判決(第一審昭和三五年(ワ)第八、四〇一号関係)を、また、本件土地につき被控訴人に対し主文第三、第四項と同旨(第一審昭和三六年(ワ)第九、一九九号関係)の判決を求める。

と述べた。

《証拠関係省略》

理由

まず、被控訴人の本案前の抗弁について判断する。

およそ、訴訟代理人は各自当事者を代理する権限を有する(民訴法八三条一項参照)のみであるから、一人の当事者のために数人の訴訟代理人が訴訟行為をした場合、そのうちの一人の訴訟代理人に代理権の欠缺等訴訟行為を無効たらしめる事由があったとしても、他の訴訟代理人に適法な代理権限がある限り、その当事者のためにした訴訟行為は、有効であると解するのが相当である(大審院大正三年五月九日判決、民録二〇輯三七九頁参照)。いま、本件についてこれをみるのに、弁護士河本喜与之のほかにも控訴人の訴訟代理人がいることは、被控訴人の主張自体に徴して明らかであり、これら右弁護士以外の訴訟代理人に代理権の欠缺等当該訴訟行為を無効たらしめる事由があったことについては、被控訴人の主張しないところであるから、被控訴人の本案前の抗弁は、被控訴人の主張するごとく河本弁護士に果たして弁護士法二五条一号違反の行為があったかどうかについての判断をまつまでもなく、採用に由ないものといわなければならない。

そこで、以下、本案(本件土地及び建物の所有権の帰属いかんの問題)について判断する。

本件土地がもと訴外鈴木圭三の所有であり、これにつき昭和二年四月五日付で右訴外人より被控訴人の亡父角田長雄に対して所有権移転登記がなされていること、また、その上に建在する本件建物につき昭和三五年二月三日付で控訴人のために所有権保存登記が経由されていることは、いずれも、当事者間に争いがない(なお、記録によれば、控訴人は、昭和三六年六月一〇日原審第五回口頭弁論期日において、本件土地が被控訴人の所有であることを認める旨述べたが、たとえそれが裁判上の自白に該当するとしても、控訴人がその後の昭和三八年二月一九日原審第一六回口頭弁論期日に至り、「右主張を本件土地は控訴人の所有であると訂正する。」と述べて右自白を撤回し、これに対し、被控訴人が「右主張の訂正に異議はない。」と陳述して自白の撤回に同意したことは、記録に徴して明らかであるから、右自白の撤回は、有効になされたものというべきである)。

しかして、乙第一八号証(「土地売渡書」)には「前記訴外鈴木圭三が昭和二年三月二三日本件土地を代金一万五、〇〇〇円、手附金一、〇〇〇円で『買主角田長雄』に売り渡し、一五日以内に残代金一万四、〇〇〇円の支払いと引換えに所有権移転登記手続をする。『追テ買主名義ハ都合上鈴木宇宙ニ登記ヲ為ス事ヲ双方承諾ス』」との記載があり、また、乙第一号証(建築認可証)、乙第三号証の一ないし一四(いずれも大谷石の送状)、同号証の一五(同上残代金領収書)、乙第六号証(建築物使用認可証)、乙第一一号証(道路占用許可書)、乙第二一号証(瓦斯引込申込書)、乙第二七号証の一ないし三(特殊構造便所設置願)、乙第七二号証(道路使用料領収書)、乙第七三号証(道路占用願代書料領収書)、乙第七四号証(工事竣工届書)、乙第七五号証(病院として使用しない旨の請書)によれば、本件建物の建築主並びに建築に関する所轄官庁に対する申請書の名義人及び所轄官庁よりの許認可書や各種領収書の名宛人等は、すべて、控訴人の亡父鈴木宇宙となっている。ところで右書証のうち、乙第一号証、乙第三号証の一ないし一五、乙第六、第一一、第一八号証は、乙第二号証の一ないし三(建築仕様書)、乙第四号証(瓦斯引込代金領収書)、乙第五号証(電灯配線代金領収書)、乙第一〇号証(上棟式経費覚書)、乙第一六、第一七号証(いずれも、新築工事請負代金領収書)、乙第一九号証(家賃地代帳)及び乙第二〇号証(領収書)とともに、原判決のいう「新証拠」であり、被控訴人は、これら書証のうち官署作成に係る乙第一、第六、第一一、第七二号証を除くその余の成立は不知をもって争い、また、被控訴人の母角田愛子は、原審及び当審(但し、第一、二回)において、証人として、右官署作成に係るものをも含めて、これら乙号各証の成立及びそれらが控訴人の手許に存在していた事実をも強く否定する旨供述しており、現に、これら書証のうち乙第一〇号証及び乙第一八ないし第二〇号証を除くその余のいわゆる「新証拠」は、後記認定のごとく、控訴人が被控訴人より本件建物明渡しの請求を受け、本件土地、建物買受方の交渉も難渋していた昭和三四年五月に至り、乙第一〇、第一八、第二〇号証は、それよりさらに半年後被控訴人の提起した建物所有権確認等請求訴訟(第一審昭和三五年(ワ)第八、四〇一号事件)が係属中の昭和三六年秋に至り、いずれも、控訴人方において発見され、また、これらの書証が昭和三六年一月二四日原審第二回口頭弁論期日以降において初めて証拠として提出されたものであること、乙第一九号証は、原審において、昭和三七年一〇月九日証人角田くに対する臨床尋問が施行された後、控訴人がくより借り受け保管するに至ったものであることは、《証拠省略》に徴して明らかである。しかし、単なるかかる事実をもってこれら書証の成立そのものを否定することの許されないのはいうまでもなく、また、これらの書証がいずれも鈴木宇宙に宛てた公文書ないしは私人の公法行為といわれる鈴木宇宙の官署に対する申請に係る文書又は第三者の作成に係る文書であることに鑑みれば、それらが所在していた場所あるいは入手経路のいかんのごときは、必らずしも、その証拠価値に影響を与えるものとはいえない。そればかりでなく、《証拠省略》によれば、鈴木宇宙は、昭和二〇年八月一〇日信州の疎開先で死亡したが、控訴人は、父宇宙の生前、本件土地、建物については余り詳しい話しは聞かされておらず、しかも、父宇宙が疎開の際持って行った荷物のうち、本件土地及び建物の関係書類の入っていた鞄が途中紛失したといわれていたので、本件土地、建物が自分のものであることを証明する的確な資料はないものと考えていたところ、たまたま、昭和三四年ころの大掃除の際、本件建物三階納戸の吊棚の上にあった亡父の持物箱の中からいわゆる「新証拠」なるものを発見し、その後も探索に努めていた結果、前叙のごとく、昭和三六年秋本件建物一階廊下の古い薬箱の中から医学文献とともにあった乙第一八、第二〇号証を、また、そのころ仏壇の引出しの奥から乙第一〇号証をそれぞれ見付け出したことを認めることができ、右認定に牴触する甲第一七四号証の一ないし三は、後記認定のごとく当裁判所の措信しないところであり、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。それ故、これら乙号各証の発見、提出の後れたことも一応了承し得るのみならず、もともとその作成名義、記載の体裁等に鑑みれば、これらの書証は、前掲証人渡辺美重子、鈴木文子及び控訴人本人の各供述のごとく、すべて、真正に成立したものと認めるのが相当である。また、前掲その余の書証のうち、乙第七二号証の成立については、当事者間に争いがなく、その余の乙第二一号証、乙第二七号証の一ないし三、乙第七三ないし第七五号証の各成立については、《証拠省略》によってこれを認めることができる。しかして、以上の各証拠(但し、乙第一九、第二〇号証は除く。)に、《証拠省略》を併わせ考えると、次の事実を認めることができる。すなわち、

控訴人の父鈴木宇宙は、大正二年ころから本件建物の裏側にあった他人の家作を借り受け、「伊皿子医院」の名称で内科、小児科の診療所を開いていたが、大正一三年初めころ三年間のドイツ留学を終えて帰国してからは、婦人科も始めることとなり、新たに病室を備えた医院を建設する必要に迫まられたこと。そこで、同人は、前記訴外鈴木圭三から本件土地を賃借してその上に本件建物を建築する計画を立て、昭和二年三月ころ、右訴外人に対して土地借受方の交渉をしたが、断わられたので、本件土地を購入せざるを得ないこととなり、予てから主治医として昵懇の間柄にあった目黒の大地主角田元亮(被控訴人の祖父)に実情を打ち明けて援助方を要請し、その承諾を得、同月二三日、右訴外鈴木圭三の代理人田中智超との間に「本件土地を代金一万五、〇〇〇円、手附金一、〇〇〇円で買い受け、一五日以内に残代金一万四、〇〇〇円を支払うのと引換えに所有権移転登記手続を受ける。」旨の売買契約を締結したが、契約書を作成するに当り、鈴木宇宙から「他より金を借り受ける関係上、買主名義は、金を貸してくれる人に話しをしてからでないと決められないので、追書きをつけ、名前は書かないでおいてもらいたい。」との申出があったので、買主名義人と追書きの登記名義人の部分を空白にした前記乙第一八号証が作成され、同年四月五日、後記認定のごとく、鈴木宇宙が角田元亮より土地代金の借入金を受け取る際、これらの名義が補充されるに至ったこと。また、本件土地は東方に下った傾斜地であったので、鈴木宇宙は、大谷石を使ってその整地をなし、自己名義で本件建物の建築認可申請並びに一部設計変更に基づく再度の建築認可申請をするとともに、「設備不完全ニ付現在ハ勿論将来ニ於テモ決シテ病院トシテハ使用致ス間敷候」との請書を差し入れ、同年八月一六日、警視庁より同人に対して九個の患者収容室と薬局、手術室を備えた三階建の本件建物の建築認可が与えられ、同年一〇月一九日、上棟式を行ない、翌年二月一日、本件建物において新たに「伊皿子医院」が開設されるようになったこと

を認めることができる。さらに、いずれも、角田元亮の妻くの日記である乙第三二号証の二(甲第九三号証の二と同一、昭和二年四月五日欄)には「雨降り大風雨、元在宅赤羽登記所行、鈴木ドクトル土地売買契約書持参ス、鈴木圭三土地買入代金不足分壱万四千円ヲドクトルニ貸シ、金利共毎月弐百円ヅゝ入金シ、完済ノ上ハドクトルニ所有権返還ノ約束ス、買主ヲ長雄名デ署名捺印ス、完済マデノ土地税金ハ角田ノ負担トス、金弐百九十七円登記料、金五円食費茶代、金弐拾銭証明書代」との記載が、同号証の三(甲第九三号証の二と同一、同年五月九日欄)には「金弐百円元金利子共伊皿子より入」との記載が、同号証の七(甲第九三号証の二と同一、同年一二月三一日欄)には「金九百五十五円伊皿子医料、右十二、一、二月分差引五十五円預り」との記載が、また、乙第二八号証の二(昭和六年七月七日欄)には「鈴木ドクトル来ル、商品切手倒来ス、伊皿子建築費貸金皆済ミ」とそれぞれ墨書されている。ところで、これら書証の成立についても、当事者間に争いがあり、当審鑑定人菊地幸江鑑定の結果は、「乙第二八号証の二及び乙第三二号証の二は、その各記載の年代に作成されたものではなく、ほぼ昭和三〇年以降に作成されたものと推定される。乙第三二号証の三及び七は、その各記載の年代に作成されたものであるかどうか不明である。」としており、また、被控訴人提出に係る甲第一七四号証の一ないし三にも、甲第九三号証の二のうち昭和二年四月五日欄(乙第三二号証の二に照応する部分。但し、訴外井上嘉一郎の筆跡と鑑定された部分を除く。)及び右甲第九三号証の二のうち同年五月九日欄(乙第三二号証の三に照応する部分)、同年一〇月一九日欄(乙第三二号証の四に照応する部分)、乙第二八号証の二(昭和六年七月七日欄)、乙第五六号証の四(昭和三年四月一八日欄)の各一部は角田くの昭和三〇年代の筆跡である旨の記載がある。しかし、当審鑑定人馬路晴男鑑定の結果は、「右菊地鑑定挙示の書証は、いずれも、その各記載の年代に作成されたものとみるのが相当である。」と、右菊地鑑定とは概ね相反する見解を示しているばかりでなく、《証拠省略》に徴すれば、墨字文字経過年数については、検査の結果が検査物件に書かれている墨字の厚さ、量、濃度、膠含有の度合い、検査対象の切取り部分の位置、紙質、保存の状況等諸般の条件に左右されることから、現在の段階では、決定的な判定方法は開発されておらず、ごく大ざっぱな識別ならともかくも、前掲乙号各証程度のものについて科学的な鑑定を行なうことは、不可能であると認められるので、前掲菊地鑑定の結果及び甲第一七四号証一ないし三の記載は、措信するに足りないものというべきである。また、前掲乙第三二号証の二、三、七、第二八号証の二の成立に関する当審証人角田愛子の証言(但し、第一ないし第三回)も、単なる推測の域を出ないものであるから、それをもってこれら書証の成立を否定する的確な証拠とはなし難く、他にこれら書証の成立を疑うに足りる合理的な理由の認められない本件にあっては、これらの書証は、すべて、真正に成立したものと認めるのが相当である。そして、これら各証拠に、《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。すなわち、

控訴人の父鈴木宇宙は、昭和二年四月五日本件土地の残代金一万四、〇〇〇円を被控訴人の祖父角田元亮より借り受けるに当り、同人との間に「毎月元利金とも二〇〇円宛分割して弁済する。土地の所有名義人は、右借受金債務完済に至るまで被控訴人の父角田長雄とし、債務を完済したときは、登記名義を鈴木宇宙に返還する。また、債務完済までの土地の税金は、角田元亮の負担とする。」旨の特約を締結し、翌五月より右分割金の弁済をはじめたこと。なお、右金員借受の際、鈴木宇宙が持参した前掲乙第一八号証の空白になっていた買受人名義及び追書きの登記名義人が前記角田くによって「角田長雄」、「鈴木宇宙」とそれぞれ補充されたこと(この点に関する甲第一七四号証の一ないし三の措信できないことは、前段認定のとおりである。)また、鈴木宇宙は、上棟式の行なわれた前記昭和二年一〇月一九日角田元亮より本件建物の建築資金不足分四、五〇〇円を借り受け、翌一一月より前記本件土地の借受金と併わせて毎月三〇〇円宛の割合いで支払う約定で支払いを続け、角田家においても、その弁済金を「元金利息共伊皿子分入」又は「タテカへ地代含ム伊皿子」とか単に「何月分」或いは「伊皿子」として処理し、昭和六年七月七日に至り、それまでの支払い金合計六、二二五円をもって、右建築資金借受債務は完済されたものとし、以後は、鈴木宇宙、同人死亡後は控訴人において、後記認定のような経緯で、昭和二一年七月まで月二〇〇円宛、同年七月から昭和二三年六月まで月三〇〇円宛、同年七月から昭和二五年二月まで月三、〇〇〇円宛を支払う約定で支払い、また、同年五月一一日六、〇〇〇円(月額三、〇〇〇円で二か月分)を、昭和二九年一二月一三日二万四、二三八円(月額六、〇五九円四七銭で四か月分)を、昭和三一年四月二日二万四、二三八円(前同月額で四か月分)をそれぞれ弁済供託し、以上支払い金の総額は、昭和二四年一〇月末ですでに四万六、三〇五円に達したこと。その間、鈴木宇宙は、昭和一九年一月二七日本件建物の玄関先に当たる三田四丁目六三番一二宅地一九、八三平方メートルを訴外岸清一より買入れ、同年一〇月ころ、控訴人の結婚を控えていたこともあって、前記角田くに対し「前叙約旨に従い本件土地の所有名義を自分に移してもらいたい。」旨申し出たが、くは、「長い間面倒をみてきたことだし、貨幣価値も変動しているので、応分の包み金をしてほしい。」といって、右申出に無条件で応ずることを拒否したこと。また、本件建物の修繕は、一切鈴木宇宙において行ない、昭和二〇年五月二四、五日の空襲で本件建物の一部約六〇平方メートルが被害にあったときも、火災保険金は同人に支払われ、その際の大修繕も、控訴人によって実施されたこと。

を認めることができる。右認定に牴触する《証拠省略》は、前掲その余の証拠と対比してたやすく措信し難く、被控訴人提出の甲第九三号証の二及び第一〇一号証の四(いわゆる角田日記の写し)のうち被控訴人が偽造文書であると主張する部分は、内容的には、前掲乙第三二号証各証、第五六号証各証(同じく角田日記の原本)と同一であるが、右乙号各証が真正に成立したものと認められること前叙のとおりであるから、右甲第九三号証の二、第一〇一号証の四は右認定の妨げとなり得ず、他に右認定を覆えして被控訴人の主張事実を肯認し得るに足る証拠はない。もっとも、《証拠省略》によれば、後記認定のごとく角田長雄が昭和二一年七月一日弟の淳に扼殺された後間もなく、妻愛子は、離別され、被控訴人を含む二人の子供を連れて実家に帰ったが、被控訴人が角田家の全財産を相続することとなったことから、その財産をめぐって、前記角田くらと被控訴人及び愛子との間に深刻な争いが展開され、また、くらがその希望する不動産として書き出して東京家庭裁判所に提出した一覧表に、本件土地、建物が含まれていたことが認められるが、いずれも、かかる一事をもって証人くらの証言の信憑性を否定したり、前記認定を覆えすに足る資料となし得ないことは、いうまでもない。また、控訴人が、前叙認定のごとく、父宇宙死亡後も昭和三一年四月まで金員の支払いを続け、しかも、後記認定のごとく、その金員を昭和七年四月からは「地代」の名目で、昭和二一年七月からは「家賃」の名目で、昭和二一年一二月からは「土地賃料」の名目で支払い、前記二回にわたる弁済供託も「家賃」の名目でしたばかりでなく、昭和二二年初めころから愛子との間で本件土地、建物買受方の交渉を続け、その交渉の過程において、本件建物を控訴人に賃貸している旨の被控訴人側の主張を認めたことは、事実である。しかし、これについては、《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。すなわち、

控訴人は、前叙のごとく父宇宙の生前本件土地、建物のことにつきあまり詳しい事は知らされておらず、しかも、父より疎開に当り「角田家の井上という集金人が来るから、毎月二〇〇円宛払っておくように。」と言いつけられていたので、その支払いを続けてきたのであり、また、その支払金につけられた「地代」という名目も、土地売買代金の貸付金と解し得る余地なしとしないが、それはともかくとしても、かかる名目が付けられるようになったのは、その前年角田元亮が死亡し、角田家の財産を実質的に管理するようになった前記くの一方的意見によるものであり、「地代」が「家賃」の名目に変更されたのも、それと同時に毎月の支払い金額が一方的に一〇〇円引き上げられたことと相俟って、その月の一日、被控訴人の父角田長雄が実弟の淳に扼殺され、その場に呼ばれた控訴人が死亡診断書に関するくの願いを容れなかったことに対する同人の報復の意味でなされたものであり、さらに、その後「土地賃料」の名目で集金されるようになったのは、前記井上を解任して自ら集金に当ることになった愛子が集金に際し「土地賃料領収証」と印刷された市販の帳面を使用したことによるものであり、控訴人が自ら二回にわたり「家賃」の名目で弁済供託をしたのも、後記認定のごとく、弁護士西村眞人の助言によるものであって、いずれも、確たる理由に基づくものではないこと。また、戦後控訴人の代になってから、愛子との間に本件土地、建物について買受方の交渉が持たれ、また、その交渉の過程において控訴人が被控訴人側の本件建物を賃貸している旨の主張を認めたことの経緯と結末は、次のとおりである。すなわち、控訴人は、昭和二二年初めころ、愛子より「息子の相続税が大変なので、不動産を一部処分しなければならないが、お宅も買い取ってほしい。」と本件土地、建物の買取方を要請され、前叙のごとく、当時としては本件土地、建物が自分の所有であることを証明する資料はなく、却って、角田の方で税金を支払い、土地は角田長雄名義に登記され、建物も同人名義で家屋台帳に登載されている事実に思いを致し、この際スッキリした形で本件土地、建物の名義が自分のものになるのであれば、愛子の右申出に応ずることも、事態を円満に解決するための一方策であると考え、物価の上昇率をも勘案して本件土地買入のために出捐されたと母から聞かされていた金額の一〇倍に当る一四万円を用意して、愛子をその実家に訪ねたが、金額の点で折合いがつかず、その後も、断続的にではあるが、昭和三四年始めころまで交渉が続けられ、その間、被控訴人から、昭和二三年二月九日到達の内容証明郵便で、本件建物を控訴人に賃貸してきたが、自己使用の必要により該契約を解約したので、六か月以内に明け渡すように請求されたのに対し、控訴人の依頼を受けた弁護士西村眞人は、控訴人より本件土地、建物の所有権を証明する資料のないことを聞かされていたので、控訴人が従来どおり「伊皿子医院」で診療を続けることができるよう、ひたすら本件土地、建物を控訴人に確保せんことのみを念願し、控訴人の代理人として、同年四月二三日、被控訴人側の賃貸借契約の主張を認めたうえで、「本件建物の賃貸借契約については、建物竣工後一か月以内は建物建築費相当額の一万七、〇〇〇円をもって、その後は建物の時価相当の金額をもって、何時なりとも、鈴木宇宙に所有権を移転する旨の売買の予約が付せられており、戦災等のため売買予約完結の意思表示はなされないまま今日に至った次第であるので、何卒情義ある取扱いをしてもらいたい。」との回答書を送った。なお、控訴人が前叙のごとく二回にわたり家賃の名目で弁済供託をしたのも、同弁護士の助言によるものであった。ところが、前叙のごとく、昭和三四年五月いわゆる「新証拠」なるものが発見されるに及び、控訴人は、本件土地、建物買受方の交渉を打ち切り、弁護士渡辺幸吉に依頼して、翌年二月三日、本件建物につき前叙のごとく東京法務局同日受付第一、一二七号をもって自己名義に所有権保存登記を経由するとともに、被控訴人に対し、いわゆる「新証拠」発見の事実を挙示して、さきに弁護士西村眞人により書面をもってなされた回答は、事実に相違するものであるからこれを撤回する旨を通知し、爾来本件訴訟へと発展するに至ったこと。

を認めるのに十分である。さらに、《証拠省略》によれば、本件建物についても、前叙のごとく角田長雄名義で家屋台帳に登載され、その公祖公課は控訴人名義の所有保存登記がなされた昭和三五年二月ころまで、その火災保険料は鈴木宇宙が角田くに対して本件土地の名義書替え方を申し出た前記昭和一九年ころまで、それぞれ、角田家において支払ってきたこと明らかである。しかし、《証拠省略》によれば、角田家において本件建物が長雄の所有である旨を区役所ないし税務署に届け出た事実のないことが認められるので、右は、前叙認定のごとく本件建物の敷地である本件土地が角田長雄名義に登記されていたことから、本件建物も同人の所有に属するものと誤認し、職権で同人名義に登載されたことによるものであると推認され、また、《証拠省略》によると、角田家において担保のため自己の名義にしたにすぎない家屋について火災保険を支払っている例は、他にも存在していることが認められるので、本件建物に関する右の諸事実をもって前記認定を覆えすに足る資料とはなし得ない。

また、被控訴人は、本件土地、建物は角田元亮がその次男傅に歯科医を開業させるために調達したものであって、鈴木宇宙が毎月支払ってきた金員は、本件土地の地代又は本件家屋の家賃である旨抗争する。しかし、それに副う《証拠省略》は、いずれも、伝聞に基づくものであって、後掲各証拠に照らしてにわかに措信し難く、却って、《証拠省略》によれば、角田伝は、昭和二年三月日本大学専門部歯科(現在の日本大学歯学部)を卒業し、母校の病理学研究室の創立に参画し、慶応義塾大学医学部病理学教室に派遣され、学位論文を完成し、母校の教授任命を前にして昭和一〇年五月一〇日急逝したものであるが、すでに昭和二年父元亮より他にかなりの宅地と家作をもらっていたのであって、本人はもとより、その両親においても同人に歯科医を開業させる意思はなかったものと認めるのが相当である。なお、《証拠省略》によれば、本件土地の昭和二年当時における適正地代は、二一円一四銭であったと認められ、前記の月二〇〇円ないし三〇〇円の支払い金額は、その約一〇ないし一四倍に当るので、この金員をもって本件土地の地代又は本件家屋の家賃ないしはその合計額であるとみることも、相当でないというべきである。

しかして、以上認定の諸事実を総合考較すれば、本件土地は、鈴木宇宙が昭和二年三月二三日訴外鈴木圭三から代金一万五、〇〇〇円の約で買い受け、手附金として一、〇〇〇円を支払い、同年四月五日残代金一万四、〇〇〇円を角田元亮から「毎月利息を含めて二〇〇円宛分割して弁済する。担保として、本件土地の登記名義人を債務完済に至るまで角田長雄とし、債務を完済したときは登記名義を鈴木宇宙に返還する。また、債務完済までの土地の税金は、角田元亮の負担とする。」との約旨の下に借り受け、即日、右残代金の支払いを了すると同時に、該約旨に基づき、借受金債務の担保としてその所有名義を預ける意味において、本件土地につき前記訴外人から角田長雄に対して所有権移転登記手続がなされたものであり、また、本件建物も、そのころ、鈴木宇宙が建築にかかり、途中同年一〇月一九日角田元亮より建築資金の不足分四、五〇〇円を毎月一〇〇円宛分割して弁済する約旨の下に借り受け、そのころ竣工させたものである。そして、右各借受金債務は、遅くとも最後の弁済供託のなされた昭和三一年四月二日までに、利息も含めて完済されたものと認めるのが相当である。なお、鈴木宇宙が昭和二〇年八月一日死亡し、控訴人が家督相続によって本件土地、建物の所有権を取得して今日に及んでいることは、《証拠省略》に照らして明らかであり、また、角田長雄が昭和二一年七月一日死亡し、被控訴人が同人の家督を相続したことは、当事者間に争いのないところである。

よって、本件建物が被控訴人の所有であることの確認と控訴人に対して本件建物についてなされた前記所有権保全登記の抹消登記手続並びに本件建物の明渡し及び賃料相当の損害金の支払いを求める被控訴人の請求(第一審昭和三五年(ワ)第八、四〇一号関係)は、理由がないのでこれを棄却すべく、他方、本件土地が控訴人の所有であることの確認と、所有権に基づき被控訴人に対して本件土地につき所有権移転登記手続を求める控訴人の請求(第一審昭和三六年(ワ)第九、一九九号関係)は、正当として認容すべきであり、これと結論を異にする原判決は失当であって、本件控訴は理由があるので、原判決を取り消し、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡部吉隆 裁判官 蕪山厳 安国種彦)

〈以下省略〉

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